今日は、いつもと少し毛色の違うお話をしたいと思います。仏教界のスーパースター【空海最強伝説】についてです。
経営の根本思想は「仏教」
私は、経営コンサルタントとして、たくさんのことを勉強していくたびに、経営の根本思想は、仏教にあるということに気づきました。
このブログは基本的に、経営者向けに役立つもしくは、刺激がある情報をお届けしようと考えております。
そして、この 経 営 という文字、実はお経を営む者という語源から始まり、信者と書いて儲かると書くということあたりまで、実は、仏教の教えなんですね。
ですので、たまーに、わたしの 趣味で、みなさんが身近にありながらもよく知らない仏教についてたまに語りたいと思います。
身の回りにある、古の仏教の教えが皆さんにはわからなくなってしまっているので、そこを少しだけ明るみにだしたいと思っています。
本日は、この日本仏教界におけるスーパースターをご紹介したいと思います。
日本の仏教の歴史
この日本は、もともと神道から始まり、聖徳太子の時代に、仏教が伝わり、神仏習合となりました。
そして、現代に至るまで、仏教は13宗56派とも枝分かれしました。
- 法相宗
- 華厳宗
- 律宗
- 天台宗
- 真言宗
- 融通念仏宗
- 浄土宗
- 浄土真宗
- 臨済宗
- 曹洞宗
- 日蓮宗
- 時宗
- 黄檗宗
この日本で、この13宗以外は、すべて新興宗教です。
そしてこの中の、真言宗という宗派を立宗した人物、そう今日は空海についてお話したいと思います。
空海の伝説について
彼は貴族の生まれで、最初は、完了を目指すのですが、10代のうちに、それらの身分を捨てて仏教の世界に入り修行を始めます。
その頃、いまから1200年前は、みなさんも知っていると思いますが、遣唐使というのがありまして、国の支援で、当時仏教界の天才と呼ばれていた最澄という自分が中国に留学に送られていました。
最澄は後に天台宗を立宗される素晴らしい方です。
空海はこの遣唐使の船に、密航という形で無理やり乗り込みます。
空海が遣唐使として中国に向かうとき、4艘の船で海を渡っていましたが、航海の途中で嵐に遭い、2艘が沈没してしまうんです。しかし、空海が乗っていた船と、最澄が乗った船は無事でした。
そして、中国に着いた空海は、たった3ヶ月で、経典の原語であるサンスクリット語、そして、現地で学ぶための中国語を習得してしまいます。
そして当時、中国の僧侶のトップであった恵果阿闍梨という僧侶のもとを尋ねると、恵果は、お主を待っておったぞと迎えいれます。
そして、その後わずが1週間の間で、仏教の真髄で誰にも明かされないという奥義、密教の教えを受け、恵果阿闍梨の持つ真理を会得してしまいます。
そして会得が終わった翌日、恵果阿闍梨は、
よかった間に合った
という言葉を残してこの世を去ることになりました。
それから、1年と少し、空海は一節では、儒教・道教・キリスト教・ゾロアスター教・マニ教といった様々な教えも学んだそうです。
そしていよいよ帰ってきます。
行く前は、密航者にすぎなかった空海は、中国の恵果阿闍梨から真理を会得した日本人僧侶ということで、天皇家に呼ばれます。
そして、国費を使っての総本山のお寺の建立をお願いされます。しかしながら、空海は、断ります。
お前らの金など使わん
そこで、唐で学んだ土木知識を活かして、水害が起こらないまちづくりを始めます。
香川県にある満濃池をたった3か月で治水したりしながら、水害が起こらなくなった代わりにお布施させてやると言って、小さいお金を集め、それだけ一般市民に功徳を積ませるということをやったんだと思います。
他にも、うどんも空海が中国から持ってきました。お灸も空海、そして、この歌も空海が作った歌になります。
いろはにほちりぬるをわかとたれぞつねならむ
ういのおくやまけふこえてあさきゆめみしえひもせすん
ひらがなが一文字も重複しないこのうたは、諸行無常の世の中で、今、成仏に達すれば、
いままでの夢からめざめて真理を得ることができる
という意味があります。
そうやってわずかながらのお布施で建立されたお寺。
真言宗の総本山「高野山」
ですので、少しこじんまりとした印象を受けるかもしれませんが、これぞ、空海の心であったといえるでしょう。
そしてその奥の院へ向かう道には、わずか2キロの参道に、名だたる歴史上の人物のお墓があります。
織田信長、秀吉、家康、光秀、他にもたくさん、また空海ののち400年後に、浄土真宗を立宗する親鸞などのお墓もあります。
この世から旅たつときには、空海のもとにありたいという人達の思いの結晶と言えるのではないでしょうか?
おそるべし空海
そして奥の院には空海が入定(瞑想をして生きたまま仏になること)した御廟があります。
なんでこんなことになったかというと、空海が最後亡くなるときにいつもと同じように、500人の弟子の先頭を切って、空海は、お経を上げていました。
いきなり振り返った空海は、弟子に向かって、
じゃーそろそろ行ってくる
と言って、そのまま入滅されました。
まさに即身成仏です。
ですので、今だに高野山では空海は今も生きているとされていて、奥の院には毎日朝6時と10時半の2回、食事が運ばれているんです。
この儀式は「生身供(しょうじんぐ)」と呼ばれています。
数名の僧侶によって食事は運ばれているのですが、まずは嘗試地蔵(あじみじぞう)の前で毒味をすることからスタートします。
その後、維那(いな)と呼ばれる空海の世話係を代々行なっている僧侶が先導して、空海が瞑想しているとされる御廟の中に入っていきます。
空海めちゃめちゃかっこよくないですか?
しかしひとつだけ疑問が残るのですが、空海が恵果阿闍梨から会得した密教。
これはいったいなんだったのでしょうか?
絵にもかけない文字にもできない、口伝のみの奥義であると言われていますが、これを手に入れた途端、空海はまさにスーパースターとなります。
ライバルであったとされる最澄は、空海にその教えを承りたく、弟子になってもよいと空海に懇願しますが、空海は断ります。
ではせめて本だけでも貸してほしいとお願いしますが、これも空海は断ります。
結果、最澄の弟子は、空海に憧れるあまり、天台宗から真言宗に宗旨変えしてしまうということが起こっていまいます。
そこまでしてもあかせなかった空海の密教の真理とはどのようなものだったのか?
また機会を改めて解説していきたいと思います。